水間政憲「新日本の夜明け」全文転載

戸井田徹丸坊主日記」
http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/cmt/51cef275495772ecdc75ebfe9c8c0e5b
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自民党本部前に駆けつけてくださった方。また、インターネット上で声援し続けてくれた方々に深甚の謝意を表します。
自民党本部前を取材した一部始終を報告します。12時30分頃には、すでに100人以上駆けつけてくれてました。議員が次々に入ってきた午後1時過ぎには、議員、報道関係者、本部職員、警察官などが渾然一体となって騒然となっていた。また、議員が歩道を歩いて入館したことで、1時前から「ア」「ソ」「オ」の連呼が開始され、開票結果速報を報告していた一瞬以外、通りをはさんだ歩道から麻生コールが自民党本部内まで鳴り響いていたのです。テレビ朝日は、「自民党本部前は、異様な状態になってます、千人の麻生議員の支援者が、麻生、麻生と連呼しています」と実況中継していた。麻生議員を推薦した議員達は、手を振って入館していた。また、福田議員の支持を表明していた議員達は、一瞬、麻生コールを見るもの、あえて無視して通り過ぎたり、様々な反応をしていた。共通していたのは、福田議員の支持を表明してた議員達は、一様に厳しい表情だった。戸井田議員と西川京子議員が通りをはさんで、手を振って挨拶すると、「ウオー」と歓声が舞い上がったのだ。
そして、麻生コールが、最高潮に達したのは、本部前で、麻生コールに気付いた鳩山邦夫議員が、車から出て、支援者にむかって車道を歩き始めた。すると、一段と高い「アソオ」「ワー」「ウオー」と、喚起の雄叫びになっていた。そこに麻生議員の車が本部内に滑り込んできた。ところが、麻生コールに気付いた麻生議員は、そのまま入館することなく、後戻りして車道を群集の方向へ歩き始めたことで警護のSPが、あわてふためいて必死に止めていた。しかし、麻生議員は車道に出て手を振ると、大麻生コールが巻き起こった。それは、福田支援議員を震えあがらすには、十分な大歓声だった。群集は、永田町駅を出た交差点から100メートル位歩道を埋め尽くしていたのです。そして、麻生コール大合唱は3時間以上なり響いていた。開票結果が、麻生議員197票と発表されても、勝ち誇ったように麻生コールを続けていた。それは、マスメディアが意図的に使用している「ネットオタク」が、197票の政治的意味を十分認識していることなのだ。
麻生コールの凄まじさは、自民党本部職員、受付嬢までもが入れ替わり立ち替わり、見学に出て来ていたのです。その時「こんなとこ自民党始まって以来初めてじゃないの」とか「小泉さんのときにも、こんなことなかったよね」「こんなにどこから来たんだろう」「小泉さんより麻生さんの方が人気あるんじゃないの」などの感想を述べていた。開票後、議員が出てくるとまたまた一段と高い麻生コールが復活した。本部から出てくる福田支持議員は、強張った表情で顔だけ見ると、どちらが勝ったのかわからない。筆者も取材していて、本部周辺に轟く「アソオ」コールで、体が熱くなっていた。そして、戸井田議員、西川京子議員、吉田六左ヱ門議員、岩屋毅議員達が歩道に並んで手を振ると群集も両手を高々と挙げて応えていました。その状況を取材していた外国通信社の記者は、走り回っていました。フジTVのレーポターから「吉田先生は、伊吹派で大丈夫なんですか」と、聞かれて「今や派閥は、政策集団です」と、満面笑みを浮かべて毅然と応えていた。西川京子議員は「一方的報道で、この逆風の中、凄い数字が出たでしよ、あと3票欲しかったわね」と、笑顔で応じていた。
車道に出た車が、急に止まってドアが開くと中川昭一議員が出てきた。そして、麻生コールの群集に大きく手を振っていた。ところが、ほとんど全員が、「麻生」と表記した大小様々なプラカードを掲げていた麻生議員支持者は、麻生議員をひたすら待ち続けていたのです。本部入口がどよめくと同時に、麻生議員は記者とカメラマンに囲まれ、戸井田議員、西川京子議員、馬渡龍治議員達が待っていた歩道に向かって進み、車道に出て群集の方向へ歩き始めた。警察官、カメラマンなどが取り囲んで騒然となるなか、分離帯にたどり着いた。そこで、今日一番の「アソオ」コールの大合唱になった。その大合唱は、永田町の空を突き破らんばかりに轟いていたのです。その一部始終を見ていた本部男性職員達は「こんなこと自民党始まって以来じゃないか」とか「これじゃ、どっちが勝ったわからないよな」と少し不満そうに述べていた。今日の出来事は、自民党員に取って大事件だったのであろう。永田町にこれほどの一団が集結したのは、60年安保以来ではなかろうか。ただ違うのは、麻生議員を支持して集まった人々は、警察官の指導に従って、整然と麻生さんを応援していたのだった。
その後、派閥のボスが次々と出てきたが、ブーイングの嵐のなか、SPに囲まれた森元首相は、憮然として永田町駅方面に消えた。議員会館に戻ると、SPと秘書に囲まれた小泉元首相に、出逢ったが厳しい表情のまま車に乗って出て行った。外国通信社は配信したであろう、この状況を殆どのテレビ局は、報道しなかった。それは、各テレビ局が実行した謀略報道との整合性が、はかれないからであろう。この状況は、総裁選を通しての対応と同じなのだ。インターネットの同志の方々、マスメディア言論封鎖を打破するため、いろいろなところに自由に貼り付けて下さい。全文掲載を条件とします。昨日は、インターネットが政治に影響を与えた記念すべき日になりました。
ジャーナリスト水間政憲
07年9月24日