ルポ「旅立ちの場所」

こんばんは。本日はルポ「旅立ちの場所」。国が3年前に設立した自殺既遂所の今をお伝えします。
誰も居ない処置場のベッドです。手すりにあるボタンを使って、最後のスイッチを押します。天井に書かれている優しげな壁画は、旅立ちをイメージしたものだといいます。
「最後の場所くらい、優しい気持ちで旅立てたら、そう思っています」
所長の○○さんは言います。設立して間もなくは、国内外の団体からの抗議が相次ぎました。福祉事業の財政的な行き詰まりから、○○国で導入された自殺既遂所。日本は導入△例目の国となります。自殺希望者は、指定の面接所にて現在の状況を確認します。このうち多くは精神病などの病気と見なされ、医師の診察を受けるよう促されます。
少なくとも△度の医師の診察を受けたのち、自殺既遂所での検査処置を行います。検査処置では、個人の生活状況や精神状態、出生記を記録し、自殺に至った原因を詳細に調査します。1週間程度の検査処置完了後、本人の意思を確認し、自殺処置を行います。
「やっぱり最後は…怖いのかなって思います。痛みはないと聞きますが。」
彼は、○○さん(仮名)享年44歳。先月、既遂されました。彼の自殺の原因は、事業の失敗による、借金。カウンセラーのアドバイスもありましたが、自殺の意思は固く、それに押される形での処置となりました。
国が過去2年間の自殺処置の統計を出しています。約40%が病気(精神病をのぞく)、20%が借金、15%が周囲の人間関係の悩み、となっています。自殺希望者の面接所、ならびに自殺既遂所においては、精神病の疑いのみが自殺の原因である場合で、かつ医師の診断を受けていない場合のみ自殺を拒否しています。
なぜ自殺を拒否しないのでしょうか。これは、国民の自殺に対する考え方の変化にあります。1990年代から、自殺に関するテクニックの本が出版されるなど、「いかに安らかに死ぬか」という積極的な死への態度が現れてきているのです。さらに、2010年頃より表面化した、「無縁社会」というキーワードにより、死は家族が処置するもの、という考えから、本人が自分で処置するもの、という考えに変わっていったのです。
市民の自殺をなくす会の会長である、○○氏は次のように言います。
「国民の大半が自分で自分の死を選ぶ権利があり、またそのように行動すべきだ、という考えが多数を占めているのが現実です。でもそれはとても危険な考え方だと気付かなくてはいけません。自分自身を大切にできない社会は、弱者に対して優しくできない社会で、弱い者は死ねというメッセージを送っているこの空気は、変えなければいけない」
70才以上の高齢者へのアンケートを行った結果、ほぼすべての回答が「老人に優しくない社会になった」というものでした。国民の福祉に対する厳しい目線が、老人を死へと追いやるような社会になったといいます。この自殺既遂所も、何も身体に問題のない高齢者の多くが利用しています。
ここに、「旅立ちのノート」と呼ばれる、本があります。これは、既遂者たちがその処置の前に書く本です。多くの既遂者は、最後に精神安定剤抗不安剤を飲みます。そのため、筆跡が一部不安定となっています。
「私は、生まれてきて、そして今死ぬのだと思うと、悲しいような、ほっとしたような、良くわからない気持ちになる。死は一人で受け入れるものだと思うが、もし私に家族というものがあれば、違っていたのだろうか」
これが、自殺のための点滴装置です。まず特別な睡眠剤、次に自殺用の薬剤が注入されます。その始動には、ボタンを長く押し続ける必要があります。
処置前の部屋では、一度に処置される数人が、手を繋いで無言で最後の時を待ちます。ほとんど全ての人が、最後には手を結びながらボタンを押すといいます。
自殺既遂者である○○さんも、最後は、仲間と職員の方と手を繋ぎ、ボタンを押しました。長く、強く、笑顔のまま、眠り、涙を流しながら。
10分後。
「確認しました」
今静かに笑っていた人たちが、皆、亡くなってしまいました。職員たちは、短い黙祷を捧げます。まだ温かみの残るその身体は、安置室にて半日間安置され、その後、火葬されます。多くの人は、遺骨の引き取り先もなく、共同墓地に入れられます。
8月。集団供養が行われました。職員、そして、何人かの身寄りの方々が集まり、祈りを捧げます。
これが、私たちの選んだ、無縁社会の結末なのです。私たちは、死を自ら選び、そして祈るのです。