次の10年に向けて

次の10年に向けて、個人はいかに生きるべきか?己の能力と蓄財により生き抜くことを志向する人よ。

貨幣経済の中で生きる事、それは必須である。どのようにして自らに貨幣を取り込むか。市場にて働くしかあるまい。市場は常に理不尽であり、法の間隙を縫って労働者を搾取する事多き時代。所謂最低時給、所謂長時間無給労働。下を見るに限りなし、最低限の蓄財可能な仕事を得ることができたとして、現時点、年齢による職業差別が横行している故、途切れなく仕事を得続けることは難しい。

年を取る度に。であれば、貨幣経済から段階的に脱する方法が必要である。

すでに「情報」において貨幣経済から脱することは可能になって来ている。安価ないし無料にて情報、すなわち娯楽と性欲を得ることが可能ではないか。逆に、情報ではない、燃料、食料、住居といった実物に関して、あるいは他人を介するサービスにおいて、さらには法により制限された製品について、貨幣経済を、市場を利用せざるを得なくなっている。

貨幣経済を個人的に脱貨幣化する方法を模索する事が、独立への道である。独立が幸福か?それは個人の志向による。完全に貨幣から脱することは可能か?それは不可能だ。あらゆる資源を自前で用意することは難しい、肉や魚や塩や住居、衣料や医療を自ら得るという事は。

どこまで可能であろうか。逆に言えば、容易なものは何か。

  • 教育。本質的に情報であるため。ただし、公的資格を得るための料金は高い。市場にて財を成すには資格は意味はないが、評価される部分もある。
  • エネルギー。個人にて現時点で自給可能なエネルギーは太陽熱温水程度(水道水は市場から調達)である。将来的には、太陽光パネルの軽量化に伴い、電気エネルギーも自給可能になるであろう。さらに、エネルギー交換単位ユニットの敷衍により、エネルギー体による(消費後の充電可能体と充電後の利用可能体との間での)疑似貨幣が登場するだろう。
  • 汎用工作機。汎用工作機は、母性原理を超えるため、テイクオフ可能な精度を持つ機械と、精度測定器による人手での検査と加工により作成される。ここでいう汎用工作機はネットワーク経由で製造のための設計図を入手し、加工が可能である。将来的には、いくつかの素材と電子部品を組み合わせた製品を製造することが可能となる。汎用工作機により、原料さえ揃えば、医薬品や銃器の製造が可能となる。よって、国家による原料の規制が行われることになろう。
  • 食糧。エネルギーが潤沢にある場合、機械光源をもとに野菜や稲を育てることが可能になる。食肉を生産するためには、特殊な設備が必要なので、家庭で気軽に行うことは難しいだろう。

エネルギーと工作と食糧を得るためには、土地と原材料が豊富に必要になる。都市生活では土地が潤沢に得られない。では都市は何のために求められるのか?それは、職業(貨幣)を得る事、医療を得る事、教育を得る事、高度な娯楽を得る事、販売市場を得る事、のためである。

汎用工作機により、さまざまな分野特化の器具を(個人のために)生産できるとすれば、自家消費により都市機能を代替できるのではないか?と考えている。なぜ都市から離れなければならないのか?というと、狭い土地だと脱貨幣経済がやりづらいから、という話である。当然ながら商売をやれば都市で生きていけるが、全員が商売人になれるわけではない。プレッパーに近い考えはあるが、モノを貯めるというよりは、生産手段の構築によるフローの能力増強を目指している。

次の10年は、職業が希少化する10年である。あわせて、貨幣価値が逓減する10年でもある。では、貨幣を何に変換すればよいのか?ということを考えた時に、汎用工作機を中心とした生産手段への転換、となる。とすれば、原材料の調達と輸送こそがネックとなる。あまねく存在する元素はそう多く無い。誰もが海水を潤沢に利用できるという訳でもないし。