P2P振り返り

NTTがADSLを始めたのが2001年頃だったろうか。1.5Mbpsの回線は、今から見るとほっそいわけだが、それでも電話代を時間で払ったり、プロバイダ料金をQ2で払ったりしなくてよくなったのだ。
まず、無料になったのはエロとJPOPだった。
WinMXはデータ量等価交換の世界だった。ADSLのAは非対称という意味で、上り帯域は500〜800Kbpsしかでなかった。そして、交換するデータの一意性がそれほど厳密に管理されていない時代、交換はまさしく一期一会だった。先に落としきった方が勝ち逃げすれば、ローカルに残るのは解凍できないゴミzipや、フィニッシュシーンの手前で切れたエロ動画だけだった。IMなんぞに頼っても、裏切られた時の傷が深くなるだけだった。
相手と自分が落とし終わる時間が同じになるよう、帯域は調整された。先に落とし終わったエロ漫画で一仕事終えるまでの10分、その後までMXを上げ続けていられるほど、不応期の漢は優しくないのであった。この考えを推し進めると、交換するデータ量こそが交換価値、つまり貨幣の役割を果たすようになる。
そして、JPOPのような、数分で落とし終わるようなデータについてまで無視リストに突っ込むのも面倒という想い、たいしたデータ量でないエロ動画を必死で落とす他人の男に対する同情心、この2つが、軽微なエロとJPOPを無料とさせた。
Winny1は、情報コンテンツを無料にした。
WinMXは、匿名ではなかった。交換相手はシステム上に明示されていたのだ。よって、常にリスクを抱えていた。無修正動画や同人誌が大量にWinMXに出回っていたのには理由があって、相手の資本力やクリーンハンド性につけこんで、情報の旨みをすくうことができたからだったのだ。言い換えると、ソフトウェアや映画などについては、皆が交換に対してリスクを感じており、その分価値が高かった。もちろん、常時接続できる環境を用意できる人間は、同時、それなりに法知識やITC技術について理解していたこともある。
Winny1は、交換相手を秘匿した。交換相手の秘匿については、ネットワーク監視ツールを用いることで、相手がどこのプロバイダを使っている馬鹿だということは暴けた。さらに交換内容も秘匿した。情報コンテンツをデータ変換した上で小さな単位に区切り、送付することでアップロードの帯域の有効利用を狙ったものだったが、この仕組みは、人々の、データに対する価値観を逆転させた。
WinMXにおいては、交換するのはデータであり、その希少性と訴訟リスクとデータ量を各個人が価値に換算し、相手の共有リストに等価なデータが有れば、刹那の友達になった。人とデータがそこには存在していた。Winny1においては、希少性や訴訟リスクやデータ量や相手の持ち物や相手の信頼性は勘定すべきパラメータから消え、ただ、自分の帯域と、HDDの容量だけが制約となった。相手のことは考えず、データのことすら考えず、自分のことだけ考えればいい。欲望を肯定するシステムは、発展した。
しばらく経つと、データの品質という観点が重視されるようになった。データの中に皆が不快に思うデータを忍ばせたり、解凍すると数ギガバイトになるような圧縮ファイルを交換することで、攻撃することが可能になったからだ。データの真贋性や品質は、そのハッシュ値により担保されるようになった。
新規に流入するデータは、明らかに現実のお金をもとに、作られている。いや、それどころか、多くのデータはP2Pにあわせて解体され、変換され、圧縮され、最適化されているのである。そのコストは、誰が支払うのか。それは、最初にデータを流す者である。この、初期放流者は、掲示板上で、神と呼ばれた。彼らにとっては、掲示板上での要求に応え、崇められることが存在価値となっている。もちろん、ライバル業者による横流しや、内部からの流出という理由もあるだろう。しかし、それだけではこれだけ多様なデータが交換されている理由にはならない。そして、虚栄心をもとにデータを交換する人間がすべてであるというのも、また異なる。
株取引においては、投機家と投資家の二つのプレーヤーが存在する。投機家は、短期間における収益を求める博打うちであり、投資家は企業の成長を長期的に見守り収益を得ようとする合理的なプレーヤーである。株取引に参加する人間のすべてがリスク回避的であれば、株式の取引回数は下がり、まともな値段がつかなくなる。リスクを取るプレーヤーが存在することで、株式市場が成立しているともいえる。
Winny1におけるデータ交換市場において、頻繁にデータを放流し、神(トリップという仕組みによって個人の特定ができるので、匿名の個人を崇める文化ができた)と呼ばれる人間になることを目的とする投機家がいる。一方で、絶対に消えない簡便な記憶装置を求める大多数の投資家が存在するのである。
データは消える。本は時間と共に黄ばみ、ブックオフで買い取りもされなくなる。CDやDVDも、次世代ディスクであれ、10年も経てばフロッピードライブと同じ運命になる。下位互換性は棄てられ、読み取れなくなる。媒体は時間とともに劣化し、読み取る装置が手に入れられなくなり、物理媒体は狭い住宅をさらに狭くし、最後に夢の島に埋め立てられる。データを永遠にするためには、常に新しい媒体に移し替える必要がある。物理媒体からデータを吸い出し、例えば、HDDの中に入れて保存するわけだ。これで安心かといえば、そうでもない。HDDは数年で壊れるし、自分の記憶のポインタも消える。保存するデータの数が多くなればなるほど、覚えていられなくなる。
必要なことは何だろう?データが、エロ本が、必要な時にすぐに取り出せ、さらに消えないこと。あと、家族がウィルススキャンしたときにエロ動画の名前が検索されるようなことがないようにすること。データの共有とは、そういう、下世話な欲望に支えられているのだった。エロ動画を共有ストレージ(記憶媒体)にアップロードし、元データは廃棄する。世の中にいるたくさんの仲間がデータを代わりに保存してくれる。家族に見られるのは変な英数字のキャッシュデータだけで、変換するにはWinnyが必要で、他の家族はWinnyが起動できないようグループポリシーで制限している。なんたる安心!
Winny2は、掲示板―つまり、神(投機家)を外部サイトに頼らず育て上げる仕組みを実装したものだった。データをアップロードするリスクを取る人間がまず存在し、そいつらがアクティブであるからこそ多くのリスク回避者が共有ストレージを利用しようとする。そして、共有ストレージを利用する人間が増えれば増える程、訴訟リスクは減っていく。参入障壁は、「NATを通す」こと。NATと納豆の違いを50文字以内で説明できないその辺のおっさんも、PC雑誌の横で怪しく誘うエロの香りに惑わされ、Winny入門をご購入。そして帯域の上限に達し、プロバイダが悲鳴を挙げ始めた。Printscreenウィルスが広まり、MyDocumentを皆で共有するようになり、国家機密が流出した。P2Pソフトの通信パターンを解析してシャットアウトするツールを導入したプロバイダは顧客満足度が高まった。
今、僕らは、僕らのプライバシーを永遠にしてくれる仕組みを崇め、そしておびえている。動画の中の少女達は永遠になり、永遠で有り続けることだけは確かだ。そして、僕らは、通信を制限されない仕組みを求めてさえいる。猛獣を飼い慣らせると信じて、自分に牙は剥かないのだと思っている。データはいつか飽きられて、世界中の人間のHDDから消えたとき、完全にこの世からなくなってしまう。その事実はまだ変わらない。
図書館の前に立ち、何を思うだろうか。Webの前に立ち、何を思うだろうか。Shareを起動し、何を思うだろうか。お金という障壁がなくなっても、何を選べばいいのか、という問題は変わらず残り続け、データが永遠であることの意義も、ないよりあったほうが面白いという程度のことでしかない。