なぜ翻訳以外は許されないのか

それがプロパガンダになるからである。
作品との出会いによって、融和が進むことは確かだ。1.その作品が文化的洗脳のポテンシャルを持つ。2.その作品を生み出した社会に対する親近感を与える。3.その作品を視聴した人間に対する親近感を与える。
作品内容が高度な社会的自由さをもたなければ存在しえないことを彼らに伝えることができる。作品を生み出した人間や組織が仮想敵国内に存在することが、人質としての効果を発揮する。視聴者間のコミュニケーションコストが低下し、彼らにとって心理的な枷となり、戦争を短期に終わらせることができる。
なんちゃら文化センターを作ることも結構なことだが、政府主導のあからさまなやり方は相手国の警戒を生む。公開すべきことは日本語スラングやアニメ文化の背景の外国語訳であり、それは、Wikipediaをそのまま利用するのがもっとも低コストであろう。IPは適当に民生プロバイダ経由に変更する必要はあるが。
ファンサブは成功例である。しかしながら、日本語で書かれたコンテンツを本当の意味で理解している翻訳者は少ない。日本語ネイティブの翻訳者ですら涼宮ハルヒを正確に翻訳するためには原作を読まなければいけない。アニメ的文脈を理解するだけの前提知識がなければならない。
核武装により自衛する道よりも、日本語コンテンツにより国際世論を味方につける道を私は選ぶ。