この青空に約束を どくしょかんそうぶん

寮といえば生活の場であって、食事の描写はあったが掃除の描写はなかった。テラスに廊下(1,2階)とトイレ、音楽部屋と食事部屋と玄関、庭。ときどき壊れる屋根。あと風呂。
藤村の子守役が当番制ならば、掃除洗濯も当番制なのだろうか。それとも家政婦を雇っているのだろうか?掃除のおばちゃんが登場するならば挨拶はするだろうし、屋根の修理も専門家に頼むだろう。壮年の女性がパートアルバイトするような舞台じゃないし、女子寮なら若者には物騒にすぎる。数年前の寮の描写もあったがある人物が面倒ごとを引き受けていたとあったので、自分たちで生活を成り立たせていたのだろう。他人に生活の面倒を見てもらう、なんてことがあれば批判者にとって格好の標的になる。
皇居掃除のように、島の住人達が自発的に寮の管理をするだろうか?それはありえない話である。神社じゃあるまいし。むしろ精神的に弱い子供達が集まる寄り合い所帯、雛床だ。だから、他人は排除される。主人公のクラスメイトが訪れることすら描かれなかった。
物語は現実の抽象化であって、気持ちよく空想を味わうことができるように、捨てられるものがある。物語は、単純に、努力が報われるように作るものだ。大人という現実のいないネバーランドのように。
そして抽象化されているが故に、虹創作の意欲もわくというものだ。物語が破綻しないように、現実を組み込んでみる。電車の中で考えた妄想から言えば、授業時間中は桐島がネット通販で買った掃除ロボットが廊下を動いていることになっている。ロボが階段から落ちないように階段下からベニヤ板を持ってきて壁を作る必要がある。便所掃除は一週間で粗相をした人が担当することになっており、藤村と風呂に入った後は風呂掃除という流れがあるので、寮生には煙たがられている。
羽山が全部やってくれるとは考えない。羽山はみんなのママじゃないし、現実的でない設定で満足するのは知的怠惰というものだ。
作品解説:この青空に約束を−は戯画の作品。男1女6の寮生活でハーレムというものだ。役名:浅倉奈緒子の声が女子校生にどうみても聞こえないのが売り。