灰色の中学校時代、セピア色の中学校時代

しょせん過去とは美化されるものだ。嫌なものであったとしても、何か一つ、ひとりで、ひとりの場所で、見た景色は、過去だから、美しくしかならない。日常が恐怖とプレッシャーと無気力の中にあっても。

千の日常を、中学校で過ごした。

部活動に入ることで、昔失った共同体に回帰できると考えていて、そして、多少はその希望もあった。だが、致命的に才能がなかった。
高校1年生になったら、50m走も6秒台、1500m走も5分を切る程度の身体能力を発揮するようになったが、未熟児は、小学校の最後の2年から中学校の3年間について、身体的な劣等感から逃れることはできなかった。
それが人生にとってプラスであったか、マイナスであったかどうかは分からない。

不完全な人間でも、生きなければならない。不完全な人間であることを自覚しながら、不完全な人間同士固まって生きることを余儀なくされた。屈辱的ではあったが、時間の差というもの、その当時の彼にとっては、運命というもの、が、変えられないものとして立ちふさがった。

ゆえに、少年が一目惚れするような少女は遠く、憧れでしかなかった。

他人よりも頭の回転が速く、ペーパーテストで高得点を取る能力に長けていたため、最下層に落ちることはなかった。友人もいた。馬鹿にされていたし、かといって完全には馬鹿にされることもなく、不快ではあったが、最低というわけではなく、生きていた。

けれど、同窓会に出る気はない。

中学3年生の時、友達に勉強を教えていたが、蒸気圧だか水溶液の濃度だか面倒な計算問題が、友達はいつまで経っても解けなかった。特に傲慢になることもなかったが、これが人生の分岐点なのだろうと思った。人にものを教えることは楽しかった。ただ、どうしようもないことはあるのだと感じた。彼は俺になっていくんだ、と。

同窓会に出たとき、俺は馬鹿にされながら妬まれるのだろう。そして、それらの感情を浴びてもなお、逢いたいと願う程の友情を築くことができなかった。そのことについては、後悔している。