円環

まだ団地暮らしだった頃だ。
近所のガキ共が集まって、遊び集団を作っていた。年はバラバラで、上は中学生、下は幼稚園生、兄弟固まって、遊んでいた。上級生はいろんな遊びを知っていて、ルールを決めて、楽しんで・・・下級生はそのような上級生を尊敬して、時が経てば自分が上級生になれるのだと期待した。その環の中で生きて死ぬことができるのだと信じていた。幸せになれるのだと信じていた。
しかし、そうはならなかった。
遠くの建売住宅に友達が引越して行った。
上級生は高校生になり、寮暮らしを始めて出て行った。
弟たちの世代になり、新しく参加する子供がいなくなった。
外で遊ぶよりも楽しい、機械が表れた。もちろん虜になって、下級生に頭をさげて入り浸った。
高学年になると、塾に通う子供が増えた。
近所の下級生と泥にまみれて遊ぶのが、子供じみた恥ずかしい行為で、同級生同士で遊ぶことが正しいのだと、自然に思うようになった。
円環は切れてしまい、孤独になった。孤独はゲームセンターが埋めてくれたが、友達を作る圧力もかかり、頭をさげて他地域の子供と交わるようになった。
円環を知らない子供達は福武書店的な価値観を身につけ、小学校高学年に形成されたピラミッドの頂上に立った。彼らは万引きをして遊んでいた。彼らは恋愛をして遊んでいた。動物的だった。
彼らの交換日記を引き裂きたかった。彼らは幸せになれないだろうと思った。そして私も幸せになれないのだと知った。