情報というものの難しさ

情報というものは難しい。伝えるためには、理解させることが必要である。その理解、本当の理解は、同じような場面で想起する感情が共有できること、である。共有できるか否かは、受け手の経験に依存する。共感できなければいけない。
情報はシステムの根幹を成す。システムはあまりにも巨大で、時間的には、ある個人が関われる人生を超えて存在する。ゆえに、引き継ぎが必要である。だが、経験してないことは引き継ぎできない。もちろん、コストを多大にかけられるならば、別だが。どのようにすれば、限られたコストの中で巨大なシステムの「理解」を伝えることができるのだろうか。経験を。
システムが正常に動作している、という「感じ」がある組織体は、それを操作する人々がいて、その中に「理解」が浮かんでいる。共通理解/共通見解としての知恵がある。システムを説明できるものがある。最新に近い、システムを。これをドキュメントという形で外部化するとどうなるか。ドキュメントという形で固定化される。なので、システムの変更を常に反映する必要がでてくる。人間のみで構成された組織体はフィードバックの形で最新の情報がすばやく共有できるが、ドキュメントは自然に更新されることはない。。
システムそのものがドキュメントとして最新の知識を表すといえるが、その参照がシステムの挙動に悪影響を与える可能性がある、組織の継続性に対しても。とはいえ、常に参照できないというわけでもない。。であれば、参照可能なタイミングでシステムから知識を拾うことができるし、その断片を集積することで、最新の情報を常に収集することができる。そして必要な情報は、ある共通の出発点からなる差分だけでよい。。