ミソジニーを超えて

落としどころを考えてみる。
騙されたくないという想いが、憎しみを作り出すのだとすれば。
貞淑(処女)を求める心については、性病検査を共に受診する、ということを受け入れてもらえば、それでいいのではないか。例え性病であったとしても、受け入れてくれたことをもってして、清浄と思えるのではないか。
裏切りを恐れる心については、出産後にDNA親子鑑定を行う、ということを受け入れてもらえば、それでいいのではないか*1。例え別の子であったとしても、あなたの子として、あなたとともに産み育てる意志があるのならば、裏切りではないのではないか。
リスクは回避するだけが能ではないのではないか。信頼を前提に、リスクを受け入れる選択もできるはずである。そうでなければ、行動できないのではないか。
我々は、それほどまでに信用できないのだろうか。女性を。それはすなわち、相手が信用できる人物であるか否かを判断する能力に欠けているということではないか*2
逆に、男性側から与えるべき誠実さは何だろうか。貯蓄か、財布か、勤労意志か、プレゼントか、それは分からないが、一方的に条件をつきつけるだけでは良くないだろう。
なぜなら、男性が求める上にあげた条件は、外部から計測できるものであるからだ。当然、互いに誠実さを継続させなければ意味がないのだが・・・。
最近は女性向けに逆ハーレムドラマが流行しているようで、男性はハーレムアニメを見、互いにフィクションで煩悩を解消する方向に向かえば、平和な形で落ち着けると思う。

*1:命や愛情を天秤にかける可能性を考えると、個人的には凄く抵抗があるね。

*2:釣った魚に餌的なものもあるね