有害情報のフィルタリング

有害な情報とラベリングされる情報であっても、現実には存在するものだし、それを見たくないというのであれば、そういう役回りを持つ人生を選べばいい。子供の人生をコントロールすることは許されるのか?と言えば、二十歳過ぎるまでは親権によってある程度。となる。そして親が子供と向き合うことを面倒がって(仕事忙しいし)、規制を乱用している。
有害な情報に触れても心にダメージを負わないと(この表現も科学的じゃないので、例えばうんこの話しながらカレーが食える程度の平常心を保てると)、親が判断できるのはどんな場合か。自省すると18歳の頃はあまりにも未熟で蒼色に染まりそうな気配もあった。これでは遺憾と反省し、以降危ない1号を教科書に、世の中を欲望に忠実に生きる可能性を知った。例えばだ。「自殺についてどう思うか」という論考を他人にさせてみる。
「自殺はいけないことだと思います」「なぜならいけないからです」→小学生レベル
「自殺が絶対いけないなんて言えないはずだ」「生きることが苦しい人だっているんだ」→中二病
「親や友達が悲しむから自殺は良くないというが、孤独が絶望だとするならば彼らの方が死に近い。孤独は絶望だからだ。自殺を止めるには絶望をなくさなければならない」→青い大学生
「H2Sでノックダウンして安楽に死にたい気持ちは分かるけどマンションでやると隣近所に被害が及んで損害賠償とかやばいから回線切って首吊って氏ね」→古参2chねらー(合格)
「死ぬならマンションでやって欲しいだって家賃が安くなるから俺のためになる」→貧乏人(合格)
少なくとも肯定意見と否定意見の両方のロジックを語ることができる能力は必要だ。また、消費者/生産者/為政者/投資家それぞれの立場で語る能力も必要だろう。例えば死刑制度に関して社会的な財を最も高めることができる(現状の)解が「製薬会社に検体提供で損害賠償支払い」であるが現実には受け入れられないね、とかロジックの限界、価値観を広く受け入れられるのは難しいということを理解していることも必要だ。
人体解剖で泣いてた医学部学生も、そのうち横で弁当とか食べだすように、すべては慣れなのだった。
というか、平和な物語で成長を測ることはできないだろ。理解が出来なくて泣き、劣等感を感じた作品(人でもいいけど)に多く触れることが免疫を形成する。
http://www.cmo.jp/users/nematoda/persuasion1.html